給湯流名物その5  生活と教育のジレンマ-「アルプスの少女ハイジ」銘「瑞山」

2024.01.22カルチャー

※掲載されている茶碗は伊藤さんのコレクションです。販売はしておりません。

給湯流茶道 アニメ茶碗 伊藤洋志 マルヒロオンラインショップ 伊藤飛石連休 アルプスの少女ハイジ

国宝級!アニメ史上の最高傑作テレビシリーズの茶碗

「給湯流アニメ茶碗の旅」の連載第5回目は、ついにこの作品です。アニメ史の最高傑作と言っていいかと思います。テレビシリーズ『アルプスの少女ハイジ』(1974年)の茶碗を紹介いたします。スイスの作家ヨハンナ・シュピリの『アルプスの少女ハイジ』(1880年)が原作のアニメシリーズです。

申し遅れました。給湯流茶道とは、戦国時代に茶道に興じた大名にならって給湯室で茶会をする一派でありまして「現代の戦場、オフィス給湯室で抹茶をたてる団体」です。2010年ごろ結成ですのでもう10年以上活動しております。

給湯室が私たちの茶室です。オフィスの狭い給湯室で茶を立てながらビジネスの諸行無常を語らい、時には社内政治について密談する。空間は変われど実態としては戦国時代と変わらぬ姿を継承したい気持ちで取り組んでいます。給湯室以外にもレトロビルやら純喫茶、劇場など茶室に見立てられそうな場所に赴いては全国各地で茶会を開いております。

そこで使う茶碗が、この連載の主題。雑器そのものの子供達のご飯に使われていたアニメ茶碗を名物として重宝している次第です。

伝説の最高視聴率26.9%は、世界の親子で見られる演出の賜物

今回の茶碗は、2024年1月で放映50周年を迎えるアニメシリーズ『アルプスの少女ハイジ』(以下、ハイジ)茶碗を取り上げます。最高視聴率26.9%を記録し、再放送は100回を超えるそうです。

昭和生まれには懐かしのシリーズ「世界名作劇場」の前身に当たる作品に位置し、1974年1月6日から12月29日まで30分枠を一年間52話に放映されたシリーズなのですが、現地へのロケハンや世界での放映を視野に入れた制作方針と当時どころか今から見ても奇跡的な制作体制だった作品と言えましょう。1年間、毎週決まった曜日時間帯にお茶の間で観るというのは、昨今、配信でいつでも観られるようになった今と比べるとかなり視聴体験も違っていることだろうと実感します。〝家族が一緒に観て、語り合えるアニメ”(公式サイトより)という内容です。平均視聴率が約20%ですから名実ともに狙いが実現されていると言えます。

世界で見られるということで実際に世界中で放映されたそうですが、具体的には、原作にあったキリスト教的価値観を省略し、宗教に関わらず見られる作品を目指すという方針があったそうです。ちなみに、日本で大ヒットしているエヴァンゲリオンも世界にファンはいるそうですが、作中にキリスト教的な用語を散りばめているので、その点でハードルが高いという点が指摘されていたりします。確かに信仰している人からすると宗教的な用語が小道具的に使われていると抵抗感があるかもしれません。

現代っ子は果たしてハイジを楽しむことができるか?

私自身は当時、まだ生まれていないので放映当時は見た事はなかったのですが、再放送など断片的に見た記憶があります。最近、子供に観せたら良さそうだと思い、ついでに自分も改めて観ました。何しろもう50年近く前の作品ですから果たして子供達は退屈せずに観てくれるだろうか、と気になりつつです。

驚きました。シリーズものにお約束の各話ごとのゲストキャラクターやアイテムも出てこず、日常生活の描写の連続です。日常生活を省略を少なく丁寧に描かれています。パンを焼いたりなどの日常描写だけの1話もあるぐらいです。他にも羊の放牧、ヤギの世話、薪の火で作るスープ、子供達のソリレースなどなどなんということのない日常の出来事が中心です。出てくる食べ物がこれまた美味しそうで、藁の布団に眠るシーンなど日常ながら日本の都市に住む人にとってファンタジー感のある描写で引き込まれるものがあります。「いつか藁の布団で眠ってみたい」と思わせる質感で表現されています。唸るような名作でした。

50年後の子供に届く作品

最初は、流行りのアニメが見たいと騒いで難色を示していた子供も見終わると「ハイジ、面白い」と呟いており、名作の底力を思い知った次第です。

演出(監督)は高畑勲氏、画面構成は最近『君たちはどう生きるか』の監督を務められた宮崎駿氏です。ご存知の通り、このお二人はその後、スタジオジブリを立ち上げ長編アニメを制作していく関係になります(正確には高畑勲氏は個人事務所を作り所属はせず)。

各方面のインタビューで締切に頓着しない、働かないと証言されている高畑勲氏が演出を担当し、毎週一話放映を達成していたという意味でも特異な作品かもしれません。ただ、エンディングのスタッフロールを見ても人数が少ないと感じます。少数精鋭が高品質の源なのかもしれませんが、この人数でいったい、どんな超人的な仕事ぶりで成し遂げたのか…。しかも1年間。

原作は1880年発表のものです。ほぼ100年後にアニメ化されるというのも文学のすごさを感じるところです。

では茶碗での再現性はいかに

茶碗のタイトル面を見てみましょう。

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アルプスの家、色味は派手です。タイトルのフォントが楷書体で味わい深い

茶碗としてはかなり工業化に成功しているようでブレ自体はあまりななさそうな仕上がりです。はみ出さずきっちり彩色されております。だが、本来はログハウスに正面の壁だけ漆喰で白壁のはずが、オレンジ一色の家になってしまっています。昭和の時代は、オレンジのほうが食欲が湧くという理屈で給食の食器の外側がオレンジになっていたりもしたもので、その影響なのかもしれません。質感の再現性はそれほどありません。

茶碗に登場するのは、アルプスの山の家、ハイジ、山羊のユキちゃんと山々とモミの木です。人間はハイジだけ。他、主要人物のアルムおんじ(おじいさん)、ペーター、クララなどは出ていません。

アニメ茶碗の3パターン

アニメ茶碗のレイアウトのパターンについておさらいしますと、キャラクター集合パターンと登場人物2人コンビのパターン、そして主人公一人だけ、の大まかに三つの類型があります。ハイジの場合は、人間は一人だけ。この茶碗は、作品の主要要素はハイジに加えてアルプスの暮らし、と捉えた茶碗と言えるでしょう。

作品では、登場人物それぞれが各自の距離感で存在しているのがハイジの見事なところです。各人物が自立してそれぞれの友情を育んでいます。アルムおんじはハイジの祖父かつ保護者ですが、山の暮らしを淡々を営んでいてハイジの養育に過度に依存していませんし(一時的にいなくなった際はショックを受けてはいましたが)、近所の子供のペーターも気にかけています。5歳で祖父に預けられた主人公のハイジはハイジで、自分の好奇心をしっかり持ちアルムおんじや山の遊び仲間ペーターと接しています。ペーターにしても自分のペースで暮らしていますし、ややハイジに依存的だった都会のお嬢様クララにしても、自分の意思で執事のロッテンマイヤーさんを説得し、状況を動かします。

スポ根ものより、丈夫な精神力を持つハイジたち

以前取り上げたスポ根「巨人の星」だと、ライバル無くして己もなしと言うような強烈な関係性の二人、星飛雄馬と花形満が茶碗に描かれていました。茶碗としても星飛雄馬だけでは茶碗の景色が成立しないと言える作品です。スポーツなので相手は必須です。ハードな内容では断然巨人の星が上なのですが、実は登場人物同士はかなり相互依存になっていると感じるところがあり、自己破滅的行動も多い。個々人の人格としてはハイジの方が丈夫そうです。

アルプスの雪山のような白い余白

改めて、ハイジ茶碗を真上から見てみましょう。

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図らずもアルプスの広大さが白い碗に表現されているような景色です。

音楽に限らず漫画アニメも含んだ日本のポップカルチャーの異常性として、過度な恋愛表現が指摘できるかと筆者は考えているのですが、登場人物の年齢が低いこともありそういう感情の起伏は排除されているのもいいところです。

山の遊び仲間のペーターとハイジが学校に行くと、クラスメイトが囃し立てるような場面はあるのですが、ハイジは真顔でスルーし、関心の中心は遊びや自然、生活技術、友人との友情です。冒険物でもゾンビ物でも何かとすぐに恋愛に結びつけられてしまうことが多い中でこういう感性の作品は貴重と言えます。

「ハイジ」はキャラクターだけでなく背景絵や人物の動きにも注力することで日常描写に感情の動きも表現して力を持たせることに成功した画期作と言われています。現役のアニメ関係者のインタビューで影響を受けた作品によく上がる作品でもありますが、今に続く日常系アニメの嚆矢と言えます。その中でも、老若男女、文化を超えて観られるところはその範囲に収まらない作品でもあります。

日常系の嚆矢かつ、それに留まらない強いテーマ

気軽に日常系の嚆矢と書いてしまいましたが、とはいえゆるい日常が延々と続くわけでもないのが名作たるゆえんです。アルプスの山での日々が続くかと思いきや、突如中盤にハイジは諸事情で都会(フランクフルト)での家庭教師付きの暮らしをすることになります。突然名家の一人娘の相手として住まわされ、執事のロッテンマイヤーさんに「アーデルハイド」という洗礼名を与えられることになります。

この辺りは視聴者にも少々ストレスありの展開で、ことあるごとに「騒ぐな」「行儀良くしろ」「勝手な行動をとるな」と言われる日々が描かれます。これは今現在、保育活動をしている私としては、わが身を振り返えさせられる描写の嵐です。現代の日本で親が言うフレーズの最頻出は「早くして」だそうです。ロッテンマイヤーさんとほぼ同じです。現代っ子の感想も「ロッテンマイヤーさんは厳しすぎる」とのこと。

異世界で奪われる本名

名前を奪われて別の名前で生活しなければならない、という構図は、ハイジで場面設定・場面構成を担当した宮崎駿が原作・脚本・監督の『千と千尋の神隠し』(2001年)と同じです。こちらでは異界に迷い込んだ少女、千尋は名前を取られて千になってしまいます。

ただし、状況の変化はハイジと真逆です。

千尋は無気力な子供だったところに、異世界に入り込んでしまい、仕事に励んで生きる力を取り戻していきます。「無気力」→「異世界で元気になる」→「元の世界に戻る」という流れ。ところが、ハイジの場合は、自然の中で暮らす生命力と好奇心に溢れた子供が、いきなり管理社会に連れて行かれて失調をきたし、元の環境に戻って元通り元気な子供に戻る、というものです。「元気な自然児」→「管理社会で失調」→「元の世界に戻ってまた元気になる」がハイジです。千尋は、獲得したものが明確ですが、ハイジは大人の都合でえらい目に遭いつつ復帰を果たすというマイナスを埋めるような感じです。

もちろん、ただ不幸な出来事の連続というわけでもなく、フランクフルトでも理解者はいますし、クララとの友情も生まれます。当初は自然に暮らす技は身につけてながら成長していたものの、読み書きなどには触れていなかったハイジも、管理社会の象徴である都会で読み書きに取り組み、戻ったときには手紙を書けるようになっていますし、行かなかった村の学校に通うようになるという変化があります。

この二作には、生活と制度的教育の関係性の難しさが暗示されているように思えるのですが、関係性が逆転してしまっているのは、1974年と2001年の社会状況の差が大きいのは間違いないことでしょう。子供も初期段階から管理社会に組み込まれて世界に対する感性を縮小させられているという状況認識がなければあの構図にはなりません。

アニメ史上、最高の討論シーン

ところで、都会へ行く前に、学校に行かせるように説得しにきた村の牧師さんと、アルムおんじことおじいさんがハイジを村の学校に行かせないと主張して、討論する場面もあります。それまでの牧歌的な描写との対比で、討論シーンの緊張感はめちゃくちゃ迫力があるものになっています。アニメ史上最高の討論シーンと言ってもいい仕上がりです。

私のささやかな鑑賞体験でも、討論を見事に描写した作品はそう多くはありません。大体、言いっ放しです。説得する側とされる側の一方的な拒絶「嫌だ!」や、あるいは「分かりました!」のような気分による受け入れだけで終わってしまうので、辛さはあっても緊迫感は出ません。これは実写作品でもそうかもしれません。独白する人と聞く人の関係はあっても、見応えのある討論シーンはそう多くはないように思われます。

さて、ハイジ茶碗のテーマに関わる生活と教育のジレンマについてもう少し考えてみましょう。

現代社会では忘れられがちですが、豊かな自然の中で衣食住が充実して暮らせられれば十分幸福なことが多いものです。また、短期的に商売で成功するのと学問への理解はさほど関係ないことなのも一定あります。ところが、勢い余って「学校の勉強は役に立たない」「好きなことだけして得意を伸ばそう」と自由の海に放り出そうとする大人も稀にいます。しかし読み書きソロバンができないまま大人になってもいいのか、というとそれも問題です。学校に行くと、自然から学ぶ時間が短くなったり、生活の糧になる生業の時間が失われるのも確かです。

モンゴルの遊牧民などは、子供が学校で寮生活をする間は、ミルク搾りなどの働き手が足りずに苦労しているという課題があったりします。ただ、かつての東北では山菜収穫の時期は地元の小学校特有の「ゼンマイ休暇」という二週間程度の春の休みがあったり柔軟に対応していたケースもあります。

生活と教育のジレンマを感じるための茶碗

同じようにアルムおんじも、最終的には山暮らしは捨てずに、冬の間だけ村に住むことでハイジが学校に通えるようにします(冬に雪に覆われる山の家の立地が低学年のハイジには通学が困難だったことが学校に行かせない理由の一つだった)。穏便な妥協案を見出していくのも極論対極論の対決にならない感じで安心感があります。

自由のために戦え!さもなくば滅亡!みたいな感じで極まって人類丸ごと殲滅やむなし!とかまで行っちゃう作品もしばしばあります。劇的な展開を作れるのはいいのですが、なかなかいい感じの妥協案や妙案が出てきません。

その点でも平和な作品です。ハイジ茶碗の愛で方として、争いは必然ではなく、平和な暮らしも十分に可能である、ということを味わっていただくのも一つの楽しみ方であろうと思います。

古来の名物で、平和な茶碗もたくさんあります。例えばこちら

五彩金襴手碗

五彩金襴手碗 作者不明 明時代・16世紀
景徳鎮で輸出用に作られたと思われる器。おそらく当時としても高級品と思われますが、作家物というより無名の作ということでアニメ茶碗に通じるものがあります。とぼけた感じで牛を引いているのが牧歌的です。
(出典:ColBase

絵柄は牧歌的ですが景徳鎮は王朝管理の輸出品の生産拠点ですから、絵柄の裏では厳しい労働環境だったとも言われています。手仕事の喜びと厳しい納品のジレンマを感じることができる器かと思います。

茶碗ではありませんが、動物と子供の絵もあります。

探幽/童子ニ狗図 山本元伯摸 1818年(文政四年)
犬と目線があっていないのが気になりますがえらく緩い服を着た童です。ハイジにもマイペースな犬「ヨーゼフ」が出てきます。ノーリードはもちろん自由に走り回っているので散歩も不要なヨーゼフ。人間社会と無関係なペースで生きている動物がいるだけで気持ちの余裕が生まれそうで羨ましいことです。
(出典:ColBase

ハイジ茶会を開いたら

改めて「ハイジ」茶碗を茶席で用いてみたらどんな感じか見てみましょう。

給湯流茶道 アニメ茶碗 伊藤洋志 マルヒロオンラインショップ 伊藤飛石連休 アルプスの少女ハイジ

給湯流の茶会でこの茶碗が出てきたら生活と教育のジレンマを感じていただければ、この文章の意義もあったかと思う次第です。子供の教育に悩んだ際に茶会を開いていただければ趣深いかもしれません。

ということで、銘はシンプルにスイスの山ということで「瑞山」となりました。基本はアルプスの山の景色を想像しながら、時折、生活と教育の両立の難しさに思いを馳せていただけると幸いです。

ちなみに、制作会社の名前もズイヨー映像※1とのことであります。

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それでは本年もどうぞよろしくお願いいたします(大掃除前のアトリエのバックヤードにて)

(給湯流 伊藤飛石連休)

※1.ズイヨー映像の親会社は瑞鷹エンタープライズ(当時)

画像引用元

給湯流茶道 アニメ茶碗 伊藤洋志 マルヒロオンラインショップ 伊藤飛石連休 アルプスの少女ハイジ

伊藤洋志(茶名.飛石連休)

仕事づくりレーベル「ナリワイ」代表。シェアアトリエの運営や「モンゴル武者修行」、「遊撃農家」などのナリワイに加え、野良着メーカーSAGYOのディレクターを務め、「全国床張り協会」といった、ナリワイのギルド的団体運営等の活動も行う。

執筆活動も行っており、新著に『イドコロをつくる乱世で正気を失わないための暮らし方』(東京書籍)がある。ほか『ナリワイをつくる』『小商いのはじめかた』『フルサトをつくる』(すべて東京書籍)を出版。

給湯流公式サイト:http://www.910ryu.com/
Twitter(家元):https://twitter.com/910ryu
Instagram(家元):https://www.instagram.com/tanida_kyuto_ryu_tea_ceremony/
伊藤洋志個人:https://twitter.com/marugame

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